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昔ながらの心意気は、いつの時代も変わることはありません。

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紅三の歴史

紅三の歴史

<紅三前史−染色の歴史−>

「源氏物語絵巻」より 車争”

4世紀半ば、朝鮮から養蚕・機織りとともに染色の技術が伝わる。

聖徳太子の「冠位十二階」で知られる代表六色(紫・青・赤・黄・白・黒)。
まだまだ「色」は上層部だけの所有物だ。
平安絵巻に欠かせない十二単。
色がまだ一部の特権であるとはいえ、色彩感覚という色を遊ぶセンスが生み出されたことは、染色に飛躍的な発展をもたらした。

   

室町になると農業が発達し、余裕のできた農民の「商人化」が始まる。染め物は、土地に根付いた「特産物」となった。

江戸時代で、染色はある極みに達していた。つまり天然有色物質をほぼ利用し尽くしてしまったのだ。
江戸の町人文化、浄瑠璃・歌舞伎、すなわちメディア出現で流行が生まれる。人々がおしゃれに目覚めた。


富岡製紙工場
 

1856年:ウィリアム・パーキン(英)により合成染料、開発される。

日本ではいよいよ明治。
近代国家の幕開けである。

<「染屋」紅三の由来>

阿部三之助

慶応三年「明治維新」の二年前。
創始者・阿部三之助は二十一歳。染色業を志す。

当時染め物は藍が主流だったため、染め屋は「紺屋」と呼ばれていた。「紺屋のあさって」「鍛冶屋のあした」、現在は死語となったこんな言葉が、世間一般に言われた時代である。 つまり「約束を守らない嘘つき」として、職業そのものが卑しいとさえ思われていた。
阿部三之助は「だからこそ染め物なのだ」と、そんな時代に敢えて染色に足を踏み入れた。
日本橋呉服店裏の絹染業家でなされた修行と、折りよく訪れた西洋染め伝来で、彼は両方の技術を取得することが出来た。

当初開発未熟な西洋染めは不評を浴びたが、彼は未来を見越して西洋染めに賭けた。紅花で染めた「紅」が良しとされていた当時に、彼は合成染料・紅粉を使った。「洋紅」で勝負しようと決めたのである。

<紅三史>

阿部すゑ

1875年:阿部三之助、浅草柳橋代地に染色工場を建設。
紅染めを主体とした絹染めを起こす。このころから三之助は「紅屋三之助」と名のるようになる。
創始者自ら、名を紅く染めぬいていたのである。

1880年:通称「紅三」の愛称で呼ばれるようになる。

1887年:羊毛染色で成功を収める。1894年毛糸製手甲の三段染め、五段染めを考案。

1890年:妻、阿部すゑ業務継承。


阿部麻治
 

1916年:阿部麻治、二代目社主に就任。

1921年:工場、社宅を新築。

1923年:関東大震災。工場、社宅全焼崩壊。紅三再建に着手。

1924年:工場、社宅新築。営業再開。

1928年:鉄筋コンクリートの工場店舗建設。


阿部兼高
 

1930年:阿部兼高、三代目社主に就任。

1931年:満州事変勃発。特殊染方・クロメード染めを開始。

1936年:ビーファイブ手編み毛糸の染色にパラチン染料を使用)をはじめる。

1943年:阿部兼高「東京絹繊維雑品染色有限会社」社長に就任。

  1944年:B29東京空襲。紅三深川工場、全焼。

リボルバー・システム


コルニッシュボイラー


50年代の作業風景
 

1946年:「株式会社紅三」再興。

1947年:「株式会社紅三」戦後事業再開。資本金百万円。従業員5名。紡毛糸、繊維製品の染色。

1949年:綿のかせ糸自動シルケット機「レボルバー・システム」の稼働。コルニッシュボイラー設置。資本金三百万円に増資。

1950年:手編み毛糸加工増産のため晒工場、かせ糸染色機、コルニッシュボイラー増設。

1952年:ランカシャーボイラー設置。「試験研究部」新設。資本金五百万円に増資。


1960年ごろ


1963年ごろ
 

1954年:本社ビル完成。ランカシャーボイラー増設。資本金千二百万円に増資。

1955年:「創立80周年記念式典」。合成繊維染色の研究始まる。

1956年:阿部麻治に紺綬褒賞授与。セルロース用反応染料が販売される。木綿の時代到来。

1957年:合成繊維染色工場新設。日本レーヨン、鐘淵化学の指定工場となる。カシミロン、エクスランの染色始まる。

1959年:ボンネルの染色はじめる。系列会社、「株式会社互紅」設立。

1960年資本金二千五百万円となる。旭化成工業と提携。

1962年:合成繊維染色工場、増設。資本金三千万円に増資。

1963年:資本金五千万円に増資。「創立八十八年記念式典」行う。


60年代の足利工場内風景


阿部十三


本社工場内風景
 

1964年:東京オリンピック開催。足利工場完成。

1965年:足利工場第1期増設。

1966年 足利工場第2期増設。大阪出張所開設。阿部兼高社長「藍綬褒章」受章。

1967年:阿部十三、四代目社長に就任。足利工場第3期増設。

1968年:足利工場第4期増設。

1969年:足利工場第5期増設。

1970年:足利工場第6・7期増設。「紅奨館(福利厚生施設の体育館)」の落成。

1972年:東京本社工場にて反染め生産開始。足利工場第8期増設。

1973年:大阪紅三ビル完成。足利工場第9期増設。全自動チーズ染色工場完成。

1974年:阿部兼高会長「勳四等旭日小綬章」受章。

1975年:「創立百周年記念式典」を行う。

 

1976年:資本金1億円に増資。斉藤染工と業務提携し、プリント事業の展開始まる。

1977年:システム事業部(現SP事業部)を新設。ニット反物加工、販売を始める。

1979年:足利工場にて反染め生産の開始。

1980年:東京工場閉鎖。足利工場に移転し、染色工場の集約一元化。「自動染料調液システムADAMS」導入。

1982年:ミリオンセラー「マジソン」の生産開始。丸シルケット機新設。

1983年:松竹と提携し、本社工場跡を「ベニサンスタジオ」とし、新規事業開始。日本ではじめてスレン染料使用による、ポロシャツ生地反染め成功。

1984年:工場進捗管理、顧客管理VAN・LAN 支援システムをオフコンにて導入。ピース染色工場新設。

1985年:本社工場跡に、隅田川左岸劇場「ベニサン・ピット」オープン。柿落としを坂東玉三郎がつとめる。関連会社「ベニサンインターナショナル(株)」、「サンイースト(株)」設立。

1986年:阿部十三社長「藍綬褒章」授与。パソコンLANを駆使した、反染めOAシステムを構築。紅三オリジナル「オープンシルケット機」の導入。

1987年:中国(山東省)へ染色技術指導開始。ケミカル事業部の新設。染色柔軟剤、助剤、ランドリー用洗剤の、製造販売始める。

1988年:木材用染色機、乾燥機導入。木材染色を始める。

1991年:インドネシア合弁工場「ARGO BENI MANUNGGAL」操業開始。

1995年:中国山東省にて合弁工場「青島中綿針織有限公司」操業開始。連続タンブラー乾燥機新設。

1997年:中国山東省「畜産公司」のチーズ染色工場への技術指導開始。


阿部晋悟
 

2000年:阿部晋悟、五代目社長に就任。 四代目社長阿部十三、会長に就任。

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